ミラムちゃんは、ネコの中でも、とても運動能力の高い
アビシニアンという種類の女の子でした。
でも、その次の生のダイちゃんでは、ネコの中でも運動能力がかなり低い
スコティッシュフォールドの男の子になりました。
仏教では「カルマ」と呼ばれる因果論があります。
自分の成したことが、そのまま自分に返ってくるという法則です。
そんなカルマの法則を意味するものは、
日本のことわざの中にも、いろいろと残っています。
たとえば、「因果応報」、「人を呪わば穴ふたつ」、「情けは人のためならず」、等々等々。
これらは、すべてカルマの法則を指している言葉といえます。
ところで、このシリーズのタイトルにしている
『猫は毛皮を着替えて帰ってくる』というネーミングは
実は、ネットの中で見つけたものでした。
それまでに飼っていた猫が死んでしまったけど、
少ししたら、転生してまた戻ってきたと感じている人が
意外にも、たくさんいらっしゃるようで、
それが密かな話題になっているようなのです。
少し間が空きましたが、前回の続きを書いていこうと思います。
ダイちゃんが、実はミラムちゃんだったと考えれば、
いろんなことが、つじつまが合ってきます。
ダイちゃんを迎えて三日目になると、
ダイちゃんをケージから、しょっちゅう出していました。
くうちゃんは、ダイちゃんを見かけると、シャーッと威嚇はしますが、
それ以上のことはしないと感じたからです。
ダイちゃんは、どんなにくうちゃんが攻撃的な態度を示してきても、
まったくその怒りに対して反応しないどころか、
ただひたすら、くうちゃんをなだめようとしているのです。
でも、そんなことに加えて、もう一つ、とても不思議に感じることがあったのです。
このブログには、もしかしたら一度も紹介していなかったかもしれませんが、
7年前にせーりー君が他界したその1年後、
そのときは、まだ乳飲み子の男の子を拾って育てていました。
愛ネコのミラムちゃんは、ある意味、私にとっては、
とても理想的な形で肉体から意識が離れていったと思います。
もちろん、悲しみはあったけど、
いろんな意味で、とても自然な形で訪れた死だったと思えます。
でも、科学が万能の今の時代に、
人間がそれを望むのは、少し難しいのかなと、
母を看取ったとき、そんな思いが出てくるような流れがあったのです。
いよいよミラムちゃんが、本格的に動けなくなってきた頃から、
私は出来るだけ家にいるようにして、
ミラムちゃんの側にずっといられるようにしていました。
そんな頃、ミラムちゃんに
「生まれ変わったら、せーりー君みたいに天界に行きたい?
行けるかどうかはわからないけど」
なんて聞いてみると
「ううん、私は天界に行くより、今度は人間に生まれたい。」
というような思いが、強く私の中に入ってきたように感じたのでした。
愛ネコのミラムちゃんに異変を感じたのは、
10月に入ってからのことだったと思います。
最初は、ちょっとしたできものが背中に出来ただけと思っていたので、
それほどは心配していませんでした。
でも、日が経つにつれ、ミラムちゃんの体力が無くなっていくのが
ハッキリとわかるようになってきたのです。