旅立ち

 

もう1月も終わろうとしているときに、
ようやく久しぶりの日記となりました。

本当は、年が明けてすぐに書こうと思っていたのですが、
実は、元旦の夕方に、突然に義母が旅立ってしまったのでした。

その数日前から具合が悪いという話は聞いていたのですが、
自宅で寝ているだけで、病院にも行っていなかったので、
それほどまでに症状がひどいとは思っていなかったのでした。

もしかしたら、お義母さん本人さえも、
そこまでとは思ってはいなかったのかもしれませんが。。。


元旦の夕方になり、夫の携帯電話に、義父から、
「お義母さんが救急車で運ばれたから、すぐに来るように」
といった内容の電話が入ったのでした。

電話の先から、 義父のただならぬ状況が伝わってきたのか、
愕然としている夫と一緒に、私も取るものも取らずに車に乗り込みました。

夫の実家までは、私たちがいま住んでいるところからは、
高速道路を使って、車で2時間と少しくらいの距離です。

その間、夫とはほとんど会話を交わさず、
ただ、重い空気が流れていたことを覚えています。

そして、高速を走っているときは、もう、辺りは真っ暗になっていました。
私は、ただ黙って、車の外を流れるライトを眺めていました。

しばらくすると、私の目の前に、あるヴィジョンが見えてきました。

まずは、私の守護神が宇宙空間のようなところに出てきて、
何人かの従者を従え、嬉しそうに太鼓を叩いていました。
その周りからは、光も放たれ、それはもう、とても美しい光景だったのです。

義母の容態がどんな感じなのか、その時は、まったく分からない状態だったので、
そのヴィジョンが見えた瞬間は、おもわず、いい兆しに違いないと、
そんなことを思って嬉しくなったりもしました。

しかし、その次の瞬間に、今度は、死の天使と言われているアズラエルが、
ひとつの魂を手に持って、同じ宇宙空間を飛び立っていく姿が見えてしまいました。

え…、と思っていると、今度はお義母さんが目の前に表れて、
「みんなに迷惑をかけたくないから、もう行くよ」
と言ったかと思うと、姿を消してしまったのです。

このヴィジョンの流れは、まるで、お義母さんが死んでしまったようじゃないかと、
その時は、その見えたものすべてを否定する気持ちが出てきてしまったのです。

しかし、病院に着くと、そこで待っていたのは、まずは警察の検死。
そして、その後に処置をするからと、廊下でただ待たされているだけでした。

そして、どれくらい時間が経ったのか、病室に入れてもらえたときには、
すでに、冷たく、堅くなっている義母の姿がそこにあるだけなのでした。


義父の話をよくよく聞いてみると、自宅で看病していたとき、
義母が寝ていたベッドに戻ってみると、すでに身体が硬くなり始めた
義母の姿があったそうなのでした。

詳しい状況は分からないものの、近所の人も駆けつけ、
とにかく救急車を呼んだということだったらしいのです。

しかし、そんな突然の旅立ちとは裏腹に、
義母の表情は、本当に安らかそのものでした。

まるで眠っているような美しい表情が、突然の別れの悲しみを、
ずいぶんと和らげてくれたような気がします。


そして、夫の実家に戻り、その後、駆けつけた親戚の人達も帰り、
実 家には、義父と夫と夫のお兄さんと私だけが残り、
夜中まで、4人でしんみりと話を続けていました。

そして、眠りにつく前に、義母の眠る枕元に座り、
挨拶をさせてもらうことにしました。

眠っている義母の傍らに座ると、耳にハッキリとした痛みを感じました。

私は、基本的にチベット仏教徒なので、
地獄、餓鬼、動物、人間、阿修羅、天界、といった、
六つの世界を魂が輪廻転生していくといった考え方を信じています。

実際には、その六つの世界よりも、もっと高い世界もたくさん存在するのですが、
ほとんどの魂は、その六つの世界を輪廻し、彷徨っていると言われています。

そして、その六つの世界は、いま生きている私たちの身体の中に存在する
霊的なセンターである六つのチャクラにも対応するとされています。

そして、そのチャクラは、それぞれの身体の部位にも、
ハッキリとした境界線が あるわけではないものの、当てはめて行くことができます。

その意味から言うと、義母に意識を集中して、耳に痛みを感じたということは、
義母の魂は耳から抜けていった可能性が高く、
そんなときは、人間よりも一つ高い世界である阿修羅の世界へと
転生していく可能性を示していま す。

確かに義母は、明るく、さばさばしていて、世話好きなので、
よく人の面倒を見て、誰からも好かれる人でした。

私にも、実の娘のように接してくれて、嫁と姑の確執など、
みじんも感じさせることのなかった人でした。

なので、私も毎年、夏祭りには夫の実家にお邪魔していたのですが、
それは、顔見せのための義理でも何でもなく、本当に楽しみで行っていたのです。

そんな人だったので、人間よりも高い世界に転生できたとしても、
何の不思議も感じることはありませんでした。


しかし、それから数日して、不思議な夢を見ました。

顔は今でもハッキリと覚えているのですが、
ある女性の子宮へと飛び込んでいく夢でした。

目が覚めてからすぐには、それが何を意味するのか
よく分からなかったのですが、とてもリアルな夢だったので、
ずっと記憶に残っていたので す。

そして、少ししてから、そういえば、チベット死者の書には、
人間の世界に生まれるときは、子宮に飛び込むというのがあったことを思いだし、
そっか、お義母さんのヴィジョンを見たんだと、ようやく理解ができたのでした。

それが理解できてから、その夢の分析をしていくと、
もしかしたら、お義母さんは、次の章では人間の男性として生まれていくことが
理解できてきたのでした。

そして、また、数日してから、今度は、その男性となった義母が成長し、
青年となっていった夢を見たのでした。

その時、過去に義母であった男性は、宗教の道を進もうとしているというか、
真理という名の扉をくぐっていく場面を見ることができたのでした。

そういえば、魂を本当に成長させるためには、
天の世界へ生まれるよりも、人間の世界に生まれるのが一番良いと
どこかに書いてあった事を思い出しま した。

天の世界では、楽ばかりだけれども、人間の世界は、
楽と苦がちょうど良い具合にあるので、魂を成長させるのには、
とても適した世界なのだそうです。


義母が倒れたと聞いて、実家の近くの病院に向かう途中で
見たヴィジョンの最初では、守護神方というか、神々が喜び、
まるで祝福をしているような場面だったのです。

放っておいても、阿修羅へと転生できるはずだった義母を
守護神方は、魂を飛躍的に成長させるための道へと進ませるために、
あえて人間の男性へと転生させる道へと導いた…。

そして、その時の義母には、その準備が整っていたからこそ、
神々が祝福しているヴィジョンが、まず見えたのだと、
そんな風に感じることができたのでした。


私が夢で見た、次の章での義母のお母さんになる人の顔は
今でもハッキリとは覚えてはいるのですが、残念ながら、
私の知り合いの中には、いない顔の人でした。

だから、もしも、そのヴィジョンが正しくて、次のお母さんが分かったとしても、
顔だけで探し出すことは、とうていできないので、
いま現在、義母がどこにいるかは、わかりません。

でも、また、いつか、どこかで、必ず会うことができるのだと、
そんなことを感じながら、義母の旅立ちを見つめることができたのでした。


嫁と姑という立場での出会いであったにも関わらず、
世間で言われているような、そんな、嫌な思いなど一つも感じなかったどころか、
たくさんの喜びと優しさを与えてくれた義母に対して、
感謝の気持ちを込めて、今回の記事を書かせてもらいました。

また、いつか会える日を 夢見て…。

 

                                                                              2011.01.29