母のプロセス

 

愛ネコのミラムちゃんは、ある意味、私にとっては、
とても理想的な形で肉体から意識が離れていったと思います。
もちろん、悲しみはあったけど、
いろんな意味で、とても自然な形で訪れた死だったと思えます。

でも、科学が万能の今の時代に、
人間がそれを望むのは、少し難しいのかなと、
母を看取ったとき、そんな思いが出てくるような流れがあったのです。

母が他界したのは、ミラムちゃんを看取ってから23日目の朝でした。
病院で、ある検査の最中に突然に心臓が停止してしまったため、
あらゆる処置を施し、いったんは息を吹き返すことができたものの、
その二日後に亡くなりました。

その二日間は、たくさんの管を体中に取り付けられ、
機械で呼吸を行わされ、機械で血液を循環させられている母を見ていると、
生きているという意味が、さっぱりわからない気がしてきたくらいでした。

私自身は、よほどのことが無い限りは病院に行かないどころか、
自分自身の自然治癒力をできる限り損ないたくないため、
薬を飲むことは、ほとんどありません。
飲むとすると、ハーブティーくらいか、
あとは、ヨーガの呼吸法などで、体調不良を直すことを試みます。

しかし、実家の家族は、とにかく薬ですべてを解決しようとするので、
子供の頃から合わないなぁなんて思っていて、
そのせいもあってか、高校を卒業すると同時に家を出て、
ひとり暮らしを始めたくらいでした。
もちろん、ひとり暮らしはそれだけが理由ではないのは言うまでもありませんが。

そんなに薬が嫌なのは、過去世からの記憶なのかなと思えるくらいに、
物心がついた頃から、拒否反応が強かったことを思い出されます。

とはいっても、去年、父が他界してしまってからは、
介護が必要な母と、身障者の弟の二人だけにしておくわけにはいかなくなったので、
歩いてすぐの近くの家に引っ越してもらうことになったわけです。

もちろん、側に来たからといって、
私の価値観を押しつけることはしたくなかったので、
母や弟の医療のことは、本人の意志に任せることにし、
その件では、私はほとんど口を出さないようにしていました。

それ以外の面での母の介護に関しては、
ケアマネジャーさんと相談しながら方針を決めていったのですが、
箱根の環境がよほど良かったせいか、
母の状態は、引っ越す前よりも、とても明るく穏やかになり、
少なくとも精神面では、目に見えるほどに良くなってきていたのでした。

そんな頃に、胸の痛みを訴えた母を病院に連れて行った結果、
いきなりの死が訪れてしまったのでした。

ただ、母はすでに80歳をとうに過ぎた高齢だったので、
それまでに様子を見ながら、輪廻転生の話や、
次の生に転生するまでの中間状態であるバルドーの話、
さらに、バルドーに入るまでに、どれだけ心を軽くしておくかで、
楽に死を迎えることができるかということなどを話したりもしていました。

母は、私の話を、とても感慨深そうに聞いてくれたうえに、
「ひみちゃん(わたしのこと)は、いつも私がして欲しい話をしてくれるね」
と、しみじみと言ってくれたりしていました。

昔から気持ちの切り替えの早い母は、
私の話を聞くと、死に対する恐怖が消えていくという感覚を感じていたようで、
そんなことも、たどたどしい口調ではありましたが、話してくれていました。

そして、母の死は、そんな矢先の出来事でした。
もしかしたら、そういった話が功を奏したのかと思えたのは、
心臓が止まって、あらゆる処置で、いったんは息を吹き返した時の母は、
とても動揺していたのですが、
次の日になって、もう意識が戻らない状態になってしまったときは、
顔だけを見ていると、とても気持ちよさそうな寝顔で、
ただ眠っているだけのように見えてしまうくらいに、安らかな感じがあったのです。

母の意識に私の意識を合わせてみても
そのときには、動揺しているような様子は感じられなくなっていました。
ただ、そのまま母は、もう目を覚ますことはありませんでした。

それから少しした頃に、こんな夢を見ました。

私はベッドに横になっているのですが、
その私の周りを、悪鬼や悪霊のような生き物が何体も攻撃をしてくるのです。
それは、とても苦しいのですが、その苦しみを理解してくれるのは、
周りにいる、年寄りの人たちだけでした。
その年寄りの人たちとは、同じ世界を共有しているようで、
言葉も気持ちも通じ合うことができるのでした。
その世界の中に、私自身、どっぷりと浸かっているような印象でした。

しかし、もう少し遠くを見てみると、そこには、もうひとりの私がいます。
もうひとりの私が、夫と一緒に穏やかな笑みを浮かべて、こちらを見ています。
そして、もうひとりの私と夫の周りには
悪鬼や悪霊がまったくいないどころか、静かで透明な空気が漂っています。

そこで、ベッドに横たわっていた私は、あれっと気づきます。
いま私の周りにいる悪鬼や悪霊たちが、私の周りにしかいないということは、
これらは、もしかしたら、私自身が作り出した幻影…?
ということは、この苦しみも、私自身が作り出した幻影…?
ああ、そうか、すべては私の心が作り出した幻影だったんだ。

そう心から思った瞬間に、ベッドに横たわっていた私の周りにいた悪霊達は
いっぺんに消え去ってしまい、ついでに
その世界を共有していたお年寄り達も消えていました。
そして、そこには、いままでには無かった透明な光があふれ出したのです。
そして、ベッドから起き上がることができなかったはずの私は
ベッドから軽々と起き上がり、
そして、もうひとりの私がいた側にあった扉まで歩いて行って、
その扉をあけて、次の世界へと飛び出していきました。

そのときの私は、苦しみから解放されていて、とても心が軽かったので、
笑顔で扉を開けることができたのでした。

そこで目が覚めたのですが、目が覚めた瞬間に感じたことは、
ベッドに横たわっていた私というのは、母のことだということでした。
母の意識の中に、私の意識が入り込んでしまったのです。
そして、この夢が、母の死のプロセスだったのだと、直感的に感じました。

子供の頃から、母と私の顔立ちがよく似ていると誰からも言われ続けてきていたので、
母も私も、どこかでお互いを同一視している部分があったのかもしれません。
そのため、夢の中でも、私なのか母なのか、
私も母も区別がつきにくくなっていたのかなと感じたりもします。

そして、チベットの本には、死が訪れた瞬間は、
心が解放する大きなチャンスなのだと書いてあるのですが、
母は、本にあるとおりに、死の瞬間に心が解放されたのだと、
そう感じることができたのでした。

そう考えると、今回の一連の出来事は、
必要があって訪れた流れだったのかと、そんな風にも感じます。

そういえば、母とミラムちゃんは、一見すると、
まったく別のプロセスをたどったようにも感じるのですが、
いくつかの不思議な共通点もあったのです。

中でも一番に不思議だったことを書いておきます。

母が危篤状態になったときに、
私と姉妹同然に育った従姉妹の姉がいるのですが、
その人に母の危篤を知らせました。
遠くにいたので、すぐには駆けつけられなかったのですが、
報せを受けてから、ずっと祈ってくれていたようです。
その従姉妹は、あとになって教えてくれたのですが、
「不思議なことに、自分も自分の息子も、
それまで、ずっと何かがつかえているかのように胸が苦しかったのに、
叔母さん(私の母)が亡くなったと聞いた日の朝から、
二人とも胸のつかえが無くなってすっきりしていたの」
と話していました。

これは、私と夫がミラムちゃんが死を迎えたときに感じたことと
本当によく似た現象だったので、
聞いている私も、とても不思議に感じたのでした。

これらは、ミラムちゃんにとっても、母にとっても、
新しい始まりのために、何か別の大きな存在の意思によって
導かれていったのかなと、そんなことを感じたりもしています。

すべてが流転していく大いなる流れ、
この流れを止めることはできないけど、
そんな流れは、私たちの魂を成長させるためには必要なことなのだと、
そんな風に感じています。

そして、すべては無常ではあるけれど、
その無常を知り、そして、それを超えていくことが
私たちが生かされている本当の意味なのだと、
そんな風にも感じるのでした。

ただ、そんな中でも、母とは生きている時から、
とても縁が深いと感じることがよくありました。
その縁によって、またいつかどこかで
きっと会えるのだろうと、そんなことも感じるのでした。

 

 

ミラムちゃんのこと その2

 

いよいよミラムちゃんが、本格的に動けなくなってきた頃から、
私は出来るだけ家にいるようにして、
ミラムちゃんの側にずっといられるようにしていました。

そんな頃、ミラムちゃんに
「生まれ変わったら、せーりー君みたいに天界に行きたい?
行けるかどうかはわからないけど」
なんて聞いてみると
「ううん、私は天界に行くより、今度は人間に生まれたい。」
というような思いが、強く私の中に入ってきたように感じたのでした。
 

そうしているうちに、だんだんとミラムちゃんは、
食事をしなくなってきたどころか、水さえもあまり飲まなくなってきました。
飲みたくても飲めないのかもしれないとも考え、
口に含んであげても、飲み込もうとはしません。
傍目からは、飲み込む力までが無くなってしまったくらいに
体力が限界に来ているようには見えなかったのですが。。。

そんなことから、ネコは自分が死ぬ時期を自らが理解し、
その準備のために、食事をしなくなるという話を思い出しました。
ミラムちゃんの様子を見ていると、本当にネコは、
自分が死ぬ時期を知って、準備をするのかもしれないと、
そんな風に思えてなりませんでした。

もし、それが本当なら、そのずっと前に一緒に暮らしていたせーりー君は
病院に入院させることになってしまい、
死の準備をさせてあげることが出来なかったのかもしれないと思い、
申し訳なかったという気持ちさえ出てきたくらいでした。

そうして、ミラムちゃんが何も口にしなくなってから数日が経った頃、
いよいよ、そのときがやってきました。

ミラムちゃんが少しでも苦しそうな仕草をしたときは、
体をさすってあげると、楽になったように目を閉じるので、
ずっと、体をさすってあげていました。

そして、最後は、まるで頭頂を何かに引っ張られるような感じで、
体を反って上を見上げた姿勢で息を引き取りました。

その瞬間、出てきた体液は、鼻から血が出てきただけで、
他からは一切、何も出てきませんでした。

そして、不思議なことに、それまでは、見ている私の方まで、
胸のあたりが詰まった感じで苦しかったのが、
ミラムちゃんの意識が体から脱けた瞬間に、
一気に楽になる感じがあったのです。

それは、そのとき一緒にいた夫も
まったく同じ感覚を感じていたようでした。

ミラムちゃんが息を引き取ったときの様子は、
チベットの本には、魂が輪廻転生をするときに、その魂が
どんな世界へと転生するかを知るための印しがあると書かれているのですが、
その良い印がハッキリと現れていたので、
その部分に関しては、本当に安堵することができたのでした。

それは、ミラムちゃんを火葬した後に、
ミラムちゃんの頭蓋骨を見せてもらったときにも、良い印は残っていました。

頭頂を中心に十字の亀裂が入っていて、
その中心の頭頂には穴が開いていたのがハッキリと見えたのです。
これも、良い印のひとつで、ミラムちゃんの魂が頭頂から脱けたことが
示唆されていて、それは高い世界へと転生するためには大事なことと言われています。

こんなにたくさんの良い印しに、守護者の方々に感謝をすると同時に、
もう何年も前に見た夢を思い出します。
その夢があったからこそ、今回、出来るだけ静かな気持ちで
ミラムちゃんを見送ることが出来たからでした。

それは、こんな夢でした。

その夢には、守護者の方が出てきてくれていたのですが、
「ミラムちゃんを預かる」といって、
ミラムちゃんを自身の元へ連れて行ってしまいました。
そのときの私は、とてもミラムちゃんに愛着していたので、
守護者の方に隠れて、ミラムちゃんを自分の元に帰らせるために、
小声でミラムちゃんを呼び始めました。
するとミラムちゃんは、私の姿を見つけると同時に駆け寄ってきてくれたのですが、
私がミラムちゃんを抱きかかえると同時に、
ミラムちゃんは粉々に砕けて、散ってしまったのでした。
ミラムちゃんは、とても繊細で壊れやすい状態だったので、
守護者の方が守るために、ミラムちゃんを連れて行ったことを
そのときになって初めて、私は理解できたのでした。

そこで目が覚めたのですが、後味が悪かったことは言うまでもありません。
そのときから、自分が愛着しているからとかいうエゴによって行動するのではなく、
大きな流れから来る示唆を感じることが出来たときは、
その流れの中に自分自身の心と言葉を置き、
それに従って行動するべきなのだと考えるようになり、
できる限り、そうするよう努めて来たのでした。

すべては無常であり、移り変わっていきます。
ひとときも同じ状態が続くことはなく、
そんな流れが、あるときには、大切な人や物との別れを生み出します。
それは絶対に避けられないことであり、
それに抵抗しようとすればするほど、苦しみは大きくなってしまいます。

どんなことにも意味があります。
その意味がわからないときでも、
大いなる流れと、その背景にある大いなる意思を感じ続け、
そして、自分自身を信じることで、その意味が理解できて来ると感じています。

その後に見た夢では、ミラムちゃんは人間の世界へと
転生する準備をしていました。
もしかしたら、ミラムちゃんの願いが叶ったのかなと思えた夢でした。

また、会える日を信じて。
ありがとう、ミラムちゃん。

 

 

ミラムちゃんのこと その1

 

愛ネコのミラムちゃんに異変を感じたのは、
10月に入ってからのことだったと思います。

最初は、ちょっとしたできものが背中に出来ただけと思っていたので、
それほどは心配していませんでした。

でも、日が経つにつれ、ミラムちゃんの体力が無くなっていくのが
ハッキリとわかるようになってきたのです。

ネコは、体力がなくなってから、命の灯が消えるまでが
とても早いと聞いていたので、
もしかしたら、もうお別れの時が近づいてきたのかと、
そんな風に感じるようになりました。

そうしているうちに、ミラムちゃんの背中に出来たできものから
ウミが出てくるようになってしまったので、
自宅からは少し離れた所にあるのですが、
とても信頼が出来ると前々から感じていた動物病院へと
ミラムちゃんを連れて行きました。

そこの獣医さんは、ミラムちゃんがすでに高齢であるということで、
無理な検査は、むしろしない方がいいのではないかと提案してくれました。

ネコの本格的な検査は、全身麻酔をしなければならず、
それがかえって、ミラムちゃんの体力を奪うことになるということなのです。

私自身も同じように感じていたので、それに同意し、
ミラムちゃんの背中から出てくるウミだけを検査に回すことにしました。
そして、背中のお薬と、あとはサプリメントだけをもらって、帰ることにしました。

一週間ほどして検査の結果が出たのですが、やはり、資料が少なすぎて
そのできものが良性なのか悪性なのか、判断がつかないという結論でした。

しかし、ミラムちゃん自身は、みるみる体力がなくなってきたどころか、
後ろ足が、異常に腫れてきたのでした。
それはまるで、ウミが溜まっているように見えるのでした。
そのため、できものが転移したのだと思えてならず、
もう無理かもしれないと感じ、その頃から、
本格的にお別れの覚悟をしていたと思います。

とはいえ、念のために、足の件で
もう一度、病院に行って診てもらうことにしました。

ミラムちゃんを車に乗せているときは、
外はいつも良いお天気で、富士山がきれいに見えていたことが印象的でした。
それはまるで、ミラムちゃんの病気とは逆に、
目に見えない存在が、祝福してくれているようにさえ感じるくらいに
いつもいつも、美しい富士山を見せてくれていたのでした。

病院では、獣医さんは、ミラムちゃんの足の腫れには
そういう症状は、ほとんど見たことがないらしく、首をひねっていました。

しかし、ミラムちゃんの体力を気遣って、
触診以上の検査はしないでいてくれたのです。

もちろん、その病院に検査のための設備がないのかといえば
決してそうではなく、
逆に、犬やネコの体に、できる限りの負担がかからないようにと
麻酔のための部屋を作ったり等々、
いろんな設備を十分に備えているところなのです。

その獣医さんは、本当に、わんちゃんやネコちゃんの
体の負担や心のケアを第一に考えてくれる人でした。

ミラムちゃんにも、そんな獣医さんの優しさが伝わっていたようで、
ミラムちゃんが入っていたケージの柵に
何度も何度も、頭をこすりつける仕草をしていました。
それはネコにとっては、甘えの仕草です。

それを見た獣医さんは、
「こすってくれるんですか?ありがとうございます。
ありがとうね。」
と、ミラムちゃんに向かって、何度も話しかけてくれていました。

獣医さんは、「良くなるといいですね」
とは言ってくれていたものの、長年の感で
ミラムちゃんがもう長くないことをわかっていたのではないかと思うような、
優しいけど、悲しそうな目で、ミラムちゃんに話しかけていました。

それからというもの、自宅に帰ってからは、
ミラムちゃんが膝に乗ってくるたびに、
おそらく、これからミラムちゃんが迎える事になるであろう死について、
何度も何度も話を聞かせ、それは、誰にでも訪れることであって、
決して怖がる必要のないことなのだと、最後には付け加えていたのです。

ミラムちゃんは、いつも私の話をジッと聞いているような雰囲気で、
時々は、私の目を見つめ返したりしていました。

そして、ミラムちゃん自身も、これまで以上に、
動かなくなってきている身体を引きずりながら、
いつもいつも、あとを着いてきて、
少しでも長い時間を、一緒に過ごそうとするようになってきたのでした。


長くなりました。次回に続きます。

 

 

年明けですね

 

まだまだバタバタが続いているうちに、
いつの間にか、新しい年明けになっていました。

去年は、本当にいろんなことがあり過ぎて、
慌ただしい一年でしたが、今年はいったいどんな年となるでしょうか。

今年の初夢では、私はたくさんの試験を受けていました。
 

受けなければいけない試験は幾つもあったのですが、
その試験の会場があちこちに散らばっていたのです。

それは、同じ建物の上の階の時もあったのですが、
そんなときは、必死に幾つもの階段を駆け上っていました。

別の建物のときは、必死に走っていました。

そんな苦労をしながらも、すべての試験を受けることができ、
最後には、また先に進むことが出来たという結論だったので、
大変だったけど、良い夢だったのかな。

また、そんな試験を一緒に受けていた人がいたのですが、
その人は、実際に会ったことはない人だけど、
私の憧れでもあり、とても大好きな女性の人でした。

これは、どういった示唆だったのか。

なんとなく感じるのは、いま使っているオーラソーマのボトルが
昨年の11月11日生まれたばかりの『大天使ラグエル』なのですが、
このボトルの最初のメッセージに、人間関係があり、
互いの関係性にヒーリングをもたらすという要素があるようです。

その夢の中では、大変な状況を、その憧れの人と協力し合い、
一緒に乗り切ることが出来ていたので、
その憧れの人が、大天使ラグエルの象徴として
登場してくれていたような気もしています。

ということは、夢の中では大変だったけど、
やっぱり良い夢ということですね。

困難を、互いの信頼によって、
乗り切ることができるという象徴かもしれませんね。

2016年が、そんな年になれるよう、走り続けるってことかな。


ということで、いろいろありましたが、2015年もありがとうございました。
2016年もよろしくお願いします。

今年もまた、たくさんの光が、この地球に降り注ぎ、
たくさんの魂に、多くの気づきが訪れる年となりますように。


追記:
写真は、去年の写真です。
今年は写真を撮りに行く時間もないので、去年の写真を使いました。
今年の箱根は、まだ雪は降っていません。