猫は毛皮を着替えて帰ってくる 第8話【カルマの法則】

 

仏教では「カルマ」と呼ばれる因果論があります。
自分の成したことが、そのまま自分に返ってくるという法則です。

そんなカルマの法則を意味するものは、
日本のことわざの中にも、いろいろと残っています。
たとえば、「因果応報」、「人を呪わば穴ふたつ」、「情けは人のためならず」、等々等々。
これらは、すべてカルマの法則を指している言葉といえます。

 

まず「因果応報」は、よい行いをしてきた者にはよい報いが、
悪い行いをしてきた者には悪い報いがあるという意味で、
これは、そのままカルマの法則のことですね。

「人を呪わば穴ふたつ」というのは、他人を害すれば
必ず自分に返ってくるという意味であるし、
「情けは人のためならず」という本来の意味は、
人に情けをかけるのは、その人のためになるばかりでなく、
やがてはめぐりめぐって自分に返ってくるということであり、
初めの言葉は、悪い意味でのカルマの法則、
後の言葉は、良い意味でのカルマの法則の意味となります。

そんなカルマの法則が、ミラムちゃんがダイちゃんとなって帰ってきてから、
くうちゃんとの関係性の中で、ハッキリと
「本当にカルマなんだねぇ」と思えることがありました。

そのお話をするために、まずは、ミラムちゃんの時代の、
くうちゃんとの関係をお話ししなければなりません。


くうちゃんがやってきたのは、ミラムちゃんが9歳の時のことでした。
猫の9歳というと、人間でいうと、だいたい52歳くらい。
そんな年になるまで、ずっと末っ子の甘えん坊で育ってしまっていれば、
いきなり小さい子がやってきても、
すぐには面倒をみることができないのは、仕方が無いことかもしれません。

しかも、子猫のエネルギーというのは、かなりすごいものがあります。
どんなに可愛くても、あれだけちょこまかと動き続け、
遊び続ける生き物につき合うのは、本当に大変です。

なので、本当は、猫を多頭飼いするときは、
出来ることなら、年は近い方がいいと言われてはいるのですが、
なかなか、そんな理想的な飼い方ができるとは限りません。

それでも、初めてミラムちゃんがくうちゃんを見たときは、
以前の記事にも書いたように、「あら、かわいい♪」という仕草で
くうちゃんを歓迎してくれていたのでした。

でも、私がくうちゃんにミルクをあげているところを見た途端に、
ミラムちゃんはヤキモチを焼いてしまったみたいで、
一瞬ひきつったような表情をしたかと思ったら、その次の瞬間には、
「うわーん」と泣きながら走り去って行ってしまったのです。

その後に、くうちゃんが一人で遊んでいるところに
ミラムちゃんが通りかかったときには、
くうちゃんを見た途端に、くうちゃんに対して、「シャーッ!」と威嚇をし始めました。

それでも、そのときに、くうちゃんがおとなしく怖がっていれば良かったものを、
まだ手の平サイズの大きさしかないにもかかわらず、
威嚇をされたら、自分より何倍も大きなミラムちゃんに向かって
身体を横に向け、全身の毛を逆なでて、
ミラムちゃんに対して、戦闘モードで対抗してしまったのです。

それを見たミラムちゃんは、またまた
「うわーん」と鳴いて、走り去っていってしまいました。

それからというもの、二人の関係は、
決して仲が良いとはいえない状態が続いたのです。

ミラムちゃんは、くうちゃんを見るたびに、「シャーッ」と威嚇をします。
ただ、まだまだ小さなくうちゃんは、
そんな威嚇も、ミラムちゃんが遊んでくれていると思っていたようで、
対抗したのは最初だけで、
その後は、ミラムちゃんを見ると、嬉しそうについていったりしていました。

もっともミラムちゃんの方も、くうちゃんを見ると、シャーッと威嚇はするものの、
育ち盛りのくうちゃんが、ご飯が足りないと私に催促しようとすると、
ミラムちゃんが自分のご飯を半分ほど分けてあげたり、
くうちゃんが、どうしても遊んでと要求してくれば、
ミラムちゃんは、「じゃ、私についておいで」という感じで走り始め、
くうちゃんを追いかけさせたりと、それなりに遊んであげたりもしていました。

くうちゃんからすれば、猫の中でも運動能力の高い
アビシニアンのミラムちゃんの後を追いかけるのは、
とてもスリリングで、楽しそうに見えていました。

でも、くうちゃんがミラムちゃんと一緒に寝ようと側に行っても、
ミラムちゃんは、すぐに別のところに移動してしまって、
一緒に寝ることはなかったし、
くうちゃんがハナチュをしようとしても、
ミラムちゃんが、それに応じることはありませんでした。

といっても、くうちゃんは、あるときミラムちゃんの隙を突いて、
ハナチューをしたときは、それまでのうっぷんが溜まっていたせいか、
連続で10回以上はハナチュを繰り返したりして、
2匹の様子を端から見ていると、おもしろいと言えばおもしろい部分も
多々あったりもしたのです。

そんなミラムちゃんとくうちゃんの微妙な関係が、
ミラムちゃんがダイちゃんとなって若返って戻ってくると、
まったく逆転してしまったのでした。

くうちゃんは、ミラムちゃんにやってもらったように、
気分が良いときであれば、一緒に遊んであげたりもするし、
ダイちゃんが自分のご飯が足りないという感じの時に、
くうちゃんのご飯の残りをダイちゃんが食べてしまっても
ダイちゃんに対して怒ることはまったくありません。

でも、ミラムちゃんのおかげで、くうちゃんは
猫と一緒に寝るということを、まったく教えてもらえなかったために、
子供のダイちゃんが、くうちゃんと一緒に寝ようとすると
くうちゃんは「こっちに来るな」という感じで怒ってしまいます。

くうちゃんは、小さいときにミラムちゃんに教えてもらった通りのことを、
元ミラムちゃんであるダイちゃんに行ってしまっているのです。

これは、本当にわかりやすいカルマの返りだなと
見ていて、つくづく思ったものでした。


誰にとっても、生きていく上で、前生を覚えていなければ、
なぜ、こんな理不尽なことが起こるのだろうと、
そんなことを感じることは少なくないと思います。

でも、くうちゃんとダイちゃんを見ていると、
それは本当に、前生を覚えていないから、そう思えてしまうのであって、
どんなことにも、すべて原因があるんだなと、
そして、その原因は、すべて自分が作ってきたものであるわけで、
本当にカルマの法則は、しっかりと存在しているんだなと感じるのでした。

そして、もしかしたら、そのカルマの法則は、
私たちの意識が鮮明に、いろんなことを記憶していることができれば、
とても単純なものとして映るのかもしれないと、
そんなことも感じたりもするのでした。