巡り会い

 

今度は熊本を中心とした九州で、大きな地震が起こりました。
被災された方々には、お悔やみとお見舞いを申し上げます。
被災された方々が、少しでも早く、
悲しみや苦しみから解放される日が来ることを、心からお祈り申し上げます。


今回の震災を受けて、ザッとですが、いろんな記事をネットを通して見ていると、
南海トラフ地震の前兆なのでは、という事を書いている人もいれば、
逆に関係ないと書いている人もいて、いろんな意見が飛び交っているようです。

いずれにしても、前回の震災の記憶が鮮明なうちに
次の大きな震災が訪れると、今度は何が起こるのだろうと
誰もが不安になってくるのは当然のことと思います。

これまでは、比較的、呑気だった私であっても
気がつくと、なにかあったときの準備はしておかないと、なんて
具体的に考えていたりしています。

昨年は、いずれも年齢が来ていたということもあったのですが、
両親と愛ネコが、次々と他界し、
無常というものを、本当に深く実感させられたものでした。

大きな震災では、たくさんの人が同時に、その無常を実感させられるわけで、
もしかしたら、そんなときだからこそ、
自分にとって本当に大切なものとはなんなのかということを、
深い意識から感じる機会を与えられるのかもしれません。

楽しいときや、何事もうまくいっているときには見えなかったこと、
感じることができなかったことが、
こんなときだからこそ、見えてくることがあるようにも思います。

すべてには意味があるのだから。

でも、そうは言っても、辛いときに感じる意味を見いだすのは
本当に大変なことだなとも思いますが。


そういえば、この震災を受けて、というわけではありませんが、
自宅のすぐ東側で、10メートル以上にもなってしまった檜を、とうとう切りました。
風の強い日など、窓のすぐ外で、大きく揺れる檜を見ていると
これが倒れてきたら、家は押しつぶされると、いつも思っていたので、
ようやく決心したという感じです。

木を切るとき、檜に意識を向けてみると、なんだか、
「これまで、いろいろと迷惑をかけてきてごめんなさいね」
と言われているような気がして、ちょっと悲しくなってしまいました。
ここ数年の私の花粉症の大きな原因にもなっていたので、
そんなことを言われたような気になったのかもしれません。

私の方こそが、檜さんに対してひどいことをしているのに、
本当に、最後まで優しい木々でした。

自然との共存って、本当に難しいですね。

そして、切った檜は、来年か再来年に、うちのマキとなるための準備をしています。
小さく切った檜からは、本当に良い香りがしてきます。
いまは、うちの庭中に、檜の香りが充満しているという感じです。

そうして、檜を切った後には、まず、モクレンを植えました。
ローズピンクの花をつけ、そんなに大きくならない種類を選びました。

そこには、暖かくなったら散骨しようと思って
祭壇に置いていた粉になっているミラムちゃんの骨を撒くことにしました。

いろんなことが、こうやって、巡っていくものですね。

いまは、そのモクレンが、どんな風に生長していくかが楽しみです。