カルマの連鎖

 

もう何年も前のお話です。
ある時、瞑想中に、チベットで言う「マンジュシュリー」、
日本では「文殊菩薩」と言われている
智恵の菩薩の意識の中に入っていったことがありました。

そこは、光にあふれながらも、
たくさんのデーターが存在しているところでした。

そこで、そのたくさんのデーターの中から
私の意識を探して、それを見つめることをしてみました。
すると、そこには、すべてはカルマの法則によって、
何生も先まで、データーが並んでいるのでした。

それは、どんなことにも原因があって
その因によって、次の結果が待っていて、
その結果が、次の現象が起こる因となって……
というように、果てしなく、原因、結果、原因、結果……、
というカルマの連鎖が連なり、
それによって、論理的に過去だけでなく
未来もが見渡せる世界なのでした。

そして、このカルマの連鎖が、
一般的に言われている「運命」というものなのかと
驚きと共に、関心を持ってそれを見つめていました。

そのカルマの連鎖は、

その人が起こすアクションだけに限ったことではなく、
その人の些細な思考にまで、それは影響を与え、
例えば、その人の好きとか嫌いという感情さえも、
カルマの連鎖の中に組み込まれているのでした。

そこで私は、その連鎖は変えることができないものかと思い、
たったひとつのデーターをいじってみました。
すると、それは成功し、そうすることで、それに関連した未来が、
その瞬間に、ずっと先の先まで、変化していったのです。

この瞑想の体験によって、私が得られた気づきは、
運命を変えること、すなわち、カルマの連鎖から解き放たれることは、
些細な思考にまでカルマに支配されている状態では、
そう簡単にできることではない。
でも、それを客観的に見ることができる人がいて、
そして、その本人も、そこに意識という光を向けることができれば、
それは不可能ではないのだと、
そんなことを教えてもらうことができたのでした。

 

2007.5.17.