3章 完璧な私たちの本質に戻るために

 

タヌキの赤ちゃんの、そんな様子を目の当たりにして、
私は、それから少なくとも数日は、ショック状態になっていました。

しかし、前回も書いたように、ミラレパの本に書いてあることと
リンクして意識をしていたためか、
その後、とても不思議な体験があったのです。


その日は、もう寝ようと、ベットに入って
うつらうつらとしているときでした。

その時は、なにか、ミラレパの意識が
とても近くにあることを感じていたのです。

本を読んでいるせいかな、とも思ったのですが。。。

しかし、それにも関わらず、一瞬、 ミラレパという名前が
意識の表層の部分に出てこなくなってしまいました。

自分でも、「えー、大丈夫か私!」なんて思いながらも、
必死に名前を思い出そうとしていました。

しかし、次第にそれは、誰か見えない意識が
私に、その名前と同時に、何か深い意識を思い起こさせるために、
わざと私の表層から、その言葉を消し去ったように感じたのです。

だから、これは、自力で思い出さなければならないことだと感じ、
もう必死に、その名前を思い出そうとしていました。

そうして、ようやく、ミラレパという名前が
意識に ポッと出てきたその瞬間に、今度は、
私の肉体が、いきなり歓喜の状態に入っていったのです。

身体中の細胞の一つ一つが、歓喜し、
とても気持ちの良い状態が、しだいに強くなっていくのです。

そうして、そんな中で、私の意識は
宇宙空間のような、でも、それとは少し違うような、
そんな不思議な場所へと、とどまっていました。

そこは、今までに、この地球に現れたと言われている
仏陀とも如来とも言われている方々の意識の集合体のような
そんな不思議な場所のようにも感じました。

その中でも、私が感じることができたのは、
カッサパ仏と、ヴィパッシー仏の意識でした。

言葉で表現するのは難しいのですが、
そこでは、すべての意識が同時に存在しています。

すべては一つ、という言葉では、ちょっと薄っぺらさを
感じてしまうような感覚もあるくらいに、
すべてが、見事に調和し、同時に存在できている空間でした。

宇宙のすべてが、時空もすべて超えて
そこに存在している。。。

身体は相変わらず、歓喜状態のままで、
意識の方も、至福の中に包み込まれているような
そんな状態でした。

そんな状態がしば らく続いているうちに、
そのうち、いつの間にか眠りの世界に入り、
夢の中でも、そんな状態の中に、朝までいたような感覚もあります。


そういえば、この感覚は、ミラレパの本の中でも、
正確な表現は忘れてしまったのですが、
ミラレパ自身が、肉体を持ったままの状態で、
すべての仏陀方と、同じ意識の中に存在していることができると、
そんなことが書いてあったと思います。

もしかしたら、タヌキの赤ちゃんのことも、
今回のこの体験も、ミラレパの本を読んでいることによって、
ミラレパの意識とつながり、その状態の片鱗を
ほんの少しですが、見せてくれたのでは、とも感じています。


完璧なのは、この世界ではなく、
私たち自身の本質こそが、完璧なのです。

しかし、この世界に執着することによって、
その執着が強ければ強いほどに、
私たちは、私たちの本質から、意識はどんどん遠のいてしまいます。
壁を作り上げてしまうのです。

私たちが、私たちそのものに戻るためには、
この世界の苦しみの 本質を知り、そして、
この物質世界から、意識を離していく必要があるのです。

そうして、私たちは、ほんとうの私たちに戻ることができるのです。

そのことを、少しでも私にも教えてくれるために、
タヌキの赤ちゃんの出来事があり、
そこから、ほんとうの 私たちの意識の世界を
ほんの少しですが、見せてくれたのではないかと感じています。

そして、この世界から離れるというのは、
物理的に離れることだけを言っているのではなく、
物質に対する執着を少しでもなくしていくこと。

そして、自分だけが利益を得るため に必死になるのではなく、
他の人とも利益を分かち合うことを考えることを始めとして、
利他心を培い、それを深くしていくこと。

そうすることが、この世界から意識を離す
大きなカギがあるのではと、そんな風にも感じます。

そして、そこから、私たちの完璧な本質が
見えてくるのではないかと、そんな風に感じることができた
一連の出来事でした。

 

 

<< 2章 タヌキの赤ちゃんから感じたこと

 

                                      2010年8月1日